知ると好きになる?西郷隆盛の政敵「大久保利通」の本当の功績を紹介!

大久保利通の明治維新における功績は現代において多くの歴史上の影響を受けている
Photo by Descubrir Japón - Estatua de Okubo Toshimichi.

NHK大河ドラマ『西郷どん』で西郷隆盛が取り上げられましたが、政敵・大久保利通が何をした人物なのかご存知ですか?

歴史の教科書においても大久保利通の名前は太字で登場するものの、具体的な功績については

「大久保利通は」

ではなく、

「明治政府は」
「新政府は」

という表記で説明されているため、彼の偉業ぶりが理解されにくくなっています。しかも、これからというタイミングで暗殺されたので余計に偉業価値が小さいように捉えられているようです。

そこで、今回は大久保利通の功績や暗殺の影響などについて紹介します。

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大久保利通の後世に遺した功績とは?

歴史上の人物が残した功績は現代の日本にも良くも悪くも大きく影響を受けている。大久保利通の功績はズバリ次のものです。

(1) バラバラな日本を統一させたこと

江戸時代では藩ごとに言語やルールが異なり、とても一つの国と言える状況ではありませんでした。

そこで大久保利通は欧米列強と対等な外交を行うためには、まず日本が強くならなければならないと考え、バラバラな日本を一つの国として統一しようとしました。

そこで、

・版籍奉還(藩の管理を国の管理へ移行させる政策)
・廃藩置県(藩を廃止して府県を置く政策)

を行い、藩主導から国主導へ統治権を移行させました。

現代ではどうなっていますか?

国民の重要事項について国会で議決され、決定事項を基に法律の制定や改廃が行われ、施行されていますよね。

所得税や相続税、消費税などの税金も国税庁が徴収して国の財源としています。

これら(中央集権制)の仕組みの基礎を構築したのが大久保利通なのです。

(2) 産業の開発促進

大久保利通は欧米諸国を視察し、欧米の資本主義経済を取り入れて日本に経済力を身に着けさせようとしました。

そのために産業の育成が必要であると考え、工業や鉄道などの産業開発を促進しました。

その結果、現代ではいかがでしょうか?

多くの企業で働く方が大多数いらっしゃいますよね。

現代において企業を設立しやすい世の中になったのも大久保利通の功績と言えます。江戸時代以前では想像にもないことでした。

(3) 政府の仕事の負担を軽くしたこと

政府の意思決定には国の将来がかかっているほど極めて高い重要性がありますよね。

ですから、政府が国の重要事項の決断をするには高度な知的判断能力が必要です。

そこで、大久保利通は政府の仕事の負担を軽くする施策を講じました。それは「内務省」という官僚組織の創設です。

「官僚組織の創設」の背景となった出来事がある?

官僚組織が必要と考えられた背景には、失敗した過去の出来事があります。

それは、1958年に締結された日米修好通商条約です。

この条約がどんなものかご存知ですか?

・治外法権の承認(外国人が日本で罪を犯した場合には所属国の裁判所で裁くというルール)
・関税自主権の放棄(輸出入にかける税金の取り決めについては相手国に任せるというルール)

の盛り込まれた不平等条約です。

当時の政府代表・井伊直弼が誰にも相談せず、天皇の許可も得ないまま独断で締結してしまい、国内の政治に混乱を招きました。

その反省もあり、大久保利通はドイツを手本に「内務省」を創設して有能な人材を全国から集めて採用し、彼らに行政を任せました。

以後、独断と偏見による政治は行われず、(軍部の暴走を除き)大きな混乱は起きていません

現代でも官僚組織がありますが、その祖先となるものが「内務省」です。

大久保利通が現代人に嫌われている理由とは?

人が嫌われる理由には深い意味があるのでそれを分析してみると気づかなかったものを発見することができる大久保利通は現代人に嫌われていますが、近代国家の礎を築き上げた功績が大きいのになぜ嫌われているのでしょうか?

そこで、大久保利通が嫌われている理由について下記に紹介します。

(1) 西郷隆盛を下野させたこと

一つ目として西郷隆盛を下野させたことが挙げられます。西郷隆盛は今も昔も人気者であり、人気者を蚊帳の外に置いた者が嫌われるのは宿命的なことです。

大久保利通は岩倉使節団のメンバーとして欧米視察に行き、その間国内では留守政府の重鎮として西郷隆盛が政治を担い、徴兵令などの改革や征韓論を打ち立てました。

大久保利通の帰国後、征韓論について西郷隆盛らと対立し、岩倉具視と協力して「内政に専念すべき」と主張して退けます。

その結果、西郷隆盛は政治へのモチベーションを失い、下野することを決めました。

「内政に専念すべき」は嘘だった?

要注目すべき点は大久保利通が行った次のことです。

それは、

・台湾出兵を行ったこと
・朝鮮に測量船を送ることを黙認したこと

です。

矛盾していると思いませんか?

征韓論争の際に「内政に専念すべき」と主張しながらも、西郷隆盛が下野した後に外国を刺激するようなことをしたのです。

この手の平を返すような行動も嫌われている理由の一つとなっています。

なぜ「内政に専念すべき」と主張したのか?

実は、大久保利通が征韓論争の際に「内政に専念すべき」と主張して征韓論を退けたことには特別の目的があります。

それは、

政治の主導権を取り戻す目的

です。

岩倉使節団の外遊中は留守政府のやりたい放題で、帰国後には

「私の出る幕がないじゃないか!」

と言わんばかりの状況になっていました。

そこで、西郷隆盛らを政治の主導権から外すために「内政に専念すべき」と主張し、岩倉具視の権力を利用しました。

主導権奪還には私利私欲がなかった?

ただ、ここでもう一つご注目いただきたいのが

大久保利通には私利私欲がなかった

ということです。

なぜそれがわかったのか。

彼が私財を公共事業に投資して1億円以上(現代換算)の借金をしていたという事実について、暗殺された後に明らかになったからです。

このことから、彼は「自分が政治の主導権を握らなければ、日本の将来は危険なことになる」と思っていたと推測できます。

(2) 士族の反乱を「国家権力の示し」に利用したこと

嫌われる理由の二つ目として「士族の反乱を国家権力の示しに利用したこと」が挙げられます。

新政府を擁立することができたら次にやるべきことは何だと思いますか?

革命の可能性を断つことです。

それは戦国時代の下剋上の歴史に学び、豊臣秀吉や徳川家康も新政権を擁立した際に実施してきた重要事項です。頻繁に革命が起こるようでは国がまとまりませんからね。

士族は大久保の術中にはまった?

明治初期に革命を起こすとしたら、士族ですよね。

そこで、大久保利通は士族の行く末に着目し、「征韓論を退ければ西郷隆盛らが下野して帰郷し、地元の士族と手を組んで抵抗運動を起こすのではないか」と目論んでいました。

士族の反乱を「政府の権力を国民に示すちょうどいい機会」と捉えたのです。

現に江藤新平と西郷隆盛が帰郷した結果、士族の反乱が起こり、大久保利通がこれを鎮圧して思惑通りになりました。

見せしめの効果が絶大だったのか、西南戦争の後には内戦が起こっていません。

このことから大久保利通は歴史的に冷酷に見られ、嫌われている理由の一つにもなっています。

大久保の奇策には情状酌量の余地あり?

しかし、当時には不平士族を抑圧する方法がそれ以外になかったのも事実です。

刀を常に構え、城の警備をずっとしてきた人に「明日から工場の仕事を手伝ってください」と声をかければ、すぐにその気になってくれると思いますか?

それが無理だからこそ、板垣退助らが朝鮮出兵の征韓論を持ち出したのです。士族の不満エネルギーを朝鮮出兵に有効活用できますからね。

大久保利通は内心では一部賛同していたかもしれませんが、時期尚早だと判断して否定したものと考えられます。

だとしたら何をするか。

革命の可能性を断つ以外に方法はありません。

非人道的な方法ですので現代の尺度では賛同しかねますが、近代国家を構築していくためにやむを得ない画策だったことを考えれば情状酌量の余地があるのではないでしょうか。

もし大久保利通が暗殺されなかったとしたら?

仮想の過去を考えてみると歴史の影響が自然に見えてくるので重要性は高い大久保利通は石川県の士族に暗殺されましたが、その影響は大きなものです。

どんな影響を受けたかについては

「もし大久保利通が暗殺されなかったらどうなっていたか?」

という問いを設定すると答えが見えてきます。

その答えとは次のものです。

(1) 軍国主義にはならなかった

暗殺されなければ、軍国主義にはならなかったのではないかと考えられます。

大久保利通が暗殺された後には伊藤博文や山縣有朋が政権を引き継ぎますが、山縣有朋が軍国主義の原型(統帥権の独立)を作り上げました。

統帥権の独立とは、政府の意向と関係なしに天皇直属の活動ができる組織形態のことです。これが明治憲法に盛り込まれました。

日露戦争の前までは機能していませんでしたが、日露戦争の後、軍部の存在感が大きくなっていきました。昭和に入ると内閣と軍部の意見が衝突するようになり、武力を振りかざして内閣総理大臣などの重臣を殺害し、軍部が暴走して内政に介入するようになります。

結果的には国際的に孤立し、太平洋戦争までに至りました。

大久保利通が暗殺されなければ「統帥権の独立」が明治憲法に盛り込まれず、少なくとも世界大戦までに至らなかった可能性が大きいです。

(2) 文明が現在の倍以上に進歩していた

暗殺されなければ、文明が現在の倍以上に進歩していたのではないかとも考えられます。

大久保利通は台湾出兵して中国に巨額の賠償をさせ、沖縄の日本帰属についても認めさせました。

また、千島・樺太交換条約締結の際に、ロシアに対して朝鮮での軍事行動不干渉を約束させました。

このように大久保利通は外交交渉に長けていた人物なのです。

江戸時代末期に締結した諸外国との不平等条約の問題(関税自主権の欠如)を解決するには1907年まで待たなくてはなりませんでしたが、大久保利通が長く生きていれば早期に解決できた可能性があります。

ですから、もっと早い段階で欧米諸国と対等に外交ができ、産業革命も早まり、今よりも文明が進歩していた可能性が考えられます。

今後は大久保利通の功績を実感していこう!

どんなことも恐れずに迎い入れて思い切って挑戦しようここまで大久保利通の功績や暗殺の影響などについて紹介しましたが、いかがだったでしょうか?

大久保利通の功績は

・バラバラな日本を統一させたこと
・産業の開発促進
・政府の仕事の負担を軽くしたこと

です。江戸時代には想像できなかったことを次々に実現していった彼の功績は現代の私たちの生活の主要な部分を占めています。

革命が起きずに国がまとまり、先進国として独立ができたのも、彼の功績による恩恵が大きいからではないでしょうか。

これから、大久保利通の功績が現代に影響していることについて時々意識してみると、きっと彼の思いがあなたの心の中に入り、精神の支えになってくれるはずです。

なお、政敵・西郷隆盛の功績については別の記事「「西郷どん」の功績とは?人生に役立つ西郷隆盛の哲学を紹介します!」で紹介しておりますのでご覧ください。

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