日本建国の父は天武天皇だった?『日本書紀』に隠された不都合な真実について紹介

日本建国の父をご存知ですか?

天武天皇です。

アメリカ人なら「ワシントン」と即答できますが、どういうわけか日本人は即答できません。

無理もありません。戦後教育改革により、建国の歴史が教科書から排除されたのですから。

しかし、自国の建国の歴史も知らない日本人は日本人と言えるのでしょうか。

そこで今回は、日本人のルーツである日本建国の父・天武天皇について紹介します。

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日本建国の父が天武天皇である理由とは?

日本の建国の歴史を知っておくことで日本人としての誇りを持つ認識が生まれる日本建国の父を

・神武天皇
・明治天皇

とする説もありますが、天武天皇である理由は次に述べるとおりです。

「日本」を国号に定め、国家整備をしたから

それまでは国号たるものはなく、「倭国」と自称していました。

「倭」って、どういう意味かご存知ですか?

「背の低い人」という差別的な意味であり、中国による呼称です。

つまり、中国による呼称をそのまま使用していたということです。こだわりがなさすぎですね。

このことから何が言えるかと申しますと、「倭国」は国家としての認識が薄かったということです。

「ヤマト」という名前もありましたが、一部の地域に対する呼称に過ぎません。

あるとき、天武天皇が国号として「日本」に定めたのです。

それには、次の理由があります。

大帝国と対等な関係を築いたから

7世紀半ば頃になると中国がアジアの大半を支配して大唐帝国となり、日本にとって脅威となりました。

ところで、日本史の教科書に出てくる唐が大帝国として語られないのが不思議です。なぜなのでしょう。

唐から見れば、日本は遥かに小さな島国です。とても対等に外交できるようには思えません。

実際にも唐は朝鮮半島を飲み込んで日本をも支配し、征服範囲の拡大を目論んでいました。

そんな中、唐が日本に「一緒に新羅を倒さないか?」と話をもちかけてきたのです。

あまり海外事情に詳しくない天智天皇は「百済を滅ぼした新羅は許せない!協力します。」と応じようとしたのです。唐の「新羅を滅ぼしたら、次はあんたらにも滅んでもらうんだよ」という思惑にも気づかずに。

そこで「ちょっと待ったぁ!」と立ち上がったのが、天武天皇です。

新羅を防波堤にして「日本」国を創設

天武天皇は、唐ではなく新羅と手を組みました。天皇は海外情勢に詳しく、唐の野望を完全に見抜いていたのです。(そのために、天武天皇が天智天皇と大友皇子を排除したとする説もあります。)

結果、大正解。その後、28回も「遣新羅使」を派遣しています。

日本史の教科書では「遣唐使」の話が登場しますが、「遣新羅使」の話が全く登場しません。この点も謎です。「遣新羅使」の回数の方が遥かに多いんですけどね。教科書検定庁の思惑でもあるのでしょうか。

天武天皇の思惑は新羅を勢力の防波堤にすれば、中国の脅威を遠ざけることができる」というものです。これは、第二次世界大戦後においてアメリカが大韓民国を「日本の共産化を防ぐ防波堤」として独立させたのと似ています。

天武天皇は、中国の脅威を遠ざけながら「国家としての日本」を創設したのです。

そのおかげで今日の日本があります。

天武天皇が編纂させた『日本書紀』が怪しい理由とは?

書物に怪しさや疑いを持つ精神は重要であり、向学心を向上させることができる天武天皇は、「国家としての日本」の歴史の独自性を対外的に示すために『日本書紀』を編纂させました。

しかし、内容を吟味すると結構怪しいです。怪しい部分は次のものです。

天武天皇の生年が不明

編纂させた張本人の生年が不明っておかしいと思いませんか?

『逆説の日本史』の井沢元彦氏によれば、年齢がはっきりしない天皇は崇峻天皇と天武天皇だけなのだそうです。

『一代要記』や「本朝皇胤紹運録」に「65歳没」とあることにより、「生年622年」ではないかと推測する説があります。

歴史の教科書では「天武天皇は天智天皇の弟」とされていますよね。「生年622年」ですと天智天皇より年上であることになってしまいます。

だとするとおかしくなります。

何がおかしいか? 即位の順が「弟(天智)→兄(天武)」になることです。

詳細は『逆説の日本史』をお読みいただければと思いますが、天武天皇はどうやら天智天皇の異父兄である可能性があるのです。

しかも、即位に向かない人物。このことが尾を引いているのか、皇室の菩提寺・泉涌寺に天武系の天皇7人の位牌がありません

天武天皇が外国人の血族である疑惑あり

即位に向かない皇族とは、どんな人物を想定できますか?

考えられるのは外国人ですね。多い説には、

・天武天皇=百済系渡来人・高向王の子(漢皇子)
・天武天皇=高句麗の将軍・蓋蘇文

というものがありますが、いずれにしても外国系です。

もしそうなら、天武天皇が海外情勢に詳しかったのも納得できます。

というのも実は、漢皇子にしても蓋蘇文にしても、内外歴史書における活動記録が不明なのです。

そもそも天武天皇が即位前に一体何をしていたのか自体が不明。編纂命令を出した張本人が自身の記録を隠すのには、きっと不都合な真実があったに違いありません。

いずれにしても、天武天皇が即位に向かないのは「外国人の血族」であることが理由であり、それが『日本書紀』の主張「万世一系」の考え方には不都合だったのではないでしょうか。

後に皇后・持統天皇が側女の子を差し置いて自ら即位し、その後成長した孫に即位させて天智系の血統を守ったのも、これが理由と考えられます。天武の血が正統ならば、そんな妙な動きをとったりしないでしょう。

「壬申の乱は皇子同士の争いだった」は虚構

歴史の教科書では「壬申の乱で大海人皇子(後の天武天皇)が勝利し、大友皇子が自害した」と書かれていますが、『日本書紀』がベースとなっている記述です。

しかし実際には、大友皇子は父・天智天皇の死後に即位していたと考えられるのです。

そうでないと、7カ月もの間空位期間が生じます。唐に支配されるかもしれない一大事の時期に空位とするのは、極めてハイリスクです。

ということは、壬申の乱は「皇子同士の争い(皇位継承問題)」ではなく「天皇への反逆事件」だったのです。

ただ、『日本書紀』にそのまま「天皇への反逆事件」と記すと、天武天皇が悪者の印象になってしまいますよね。

だから「皇子同士の争い(皇位継承問題)」に捏造したのです。

反逆とは言うものの、滅亡回避のための正当防衛ですが。天智天皇や大友皇子の親唐路線をとれば、滅亡の道は免れませんでした。

天武天皇を思い出して日本の誇りを持とう!

歴史上の人物の活躍を思い出せば、日本人としての誇りを取り戻すことができるここまで日本人のルーツである日本建国の父・天武天皇について紹介してきましたが、いかがだったでしょうか?

天武天皇が「日本」という国号を定めましたが、その背景に大唐帝国の日本列島征服への野望があったからこそなのです。

そこで天武天皇が「このままでは、日本は滅亡する」と危機感を抱き、大唐帝国と対等な関係を構築するための強力な国家作りに着手し、新羅を勢力の防波堤として味方につけ、「国家としての日本」を創設することに成功させたのです。

天武天皇の力がなければ、中国の一部になっていた可能性があります。

今の日本をご覧ください。

GDPが高く、徹底された衛生管理により安心した生活を送ることができ、おいしい食べ物も豊富です。中国の一部になっていたら、こういった恩恵は生まれなかったはずです。

天武天皇は外国人の血族だったのかもしれませんが、「国家としての日本」を構築した建国の父であることに違いありません。

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