天皇や時代が変わっただけではない?「令和」に生きる意味について紹介!
2019年5月1日に「令和」となりました。
元号が「令和」に変わったことでどんな意味があると思いますか?
・新しい時代
・新しい天皇の即位
が頭に浮かぶでしょうが、それらだけではないはずです。
そこで今回は、「令和」に生きる意味について紹介します。
「令和」に生きる意味とは?

「令和」は元号ですから、「令和」に生きるということは元号とともに生きることになります。
ここであなたに考えていただきたいのですが、
「元号とともに生きること」にどんな意味があると思いますか?
主としては次の意味が考えられます。
日本の歴史を生きること
元号とともに生きることは日本の歴史を生きることを意味するのです。
では、元号未使用の時代(645年より前)の人たちが日本の歴史を生きていなかったかというと、そういうことではありません。
あくまでも現在の私たちにとって生きる意味がその対象です。
また、ここで質問です。
あなたの生まれた年の元号より前の元号は「自分には関係ない」と思いますか?
例えば、平成生まれの人にとって昭和以前の元号は関係ないのでしょうか。
そんなことないですよね。何世紀にもわたり先祖が子孫を代々遺してくれた恩恵により、私たちが今「令和」に生きられるわけですから。
それを意識しながら生きることが「日本の歴史を生きること」と言えます。
「令和」は日本の歴史そのもの?
「令和」に至るまで長い歴史にわたって改元が行われていますので、元号を知ることは日本の歴史を知ることと同じです。
つまり、「令和」は日本の歴史そのものとも言えます。
そこで、「令和」の歴史上の意味についていくつか紹介します。
「大化の改新」以来、ずっと元号を使用
645年に「大化の改新」という政治改革が行われ、豪族中心から天皇中心の政治に変わりました。このときに使われた「大化」が最初の元号とされています。
元々「元号」は中国の皇帝の統治権を象徴する称号であり、我が国はそれに倣ったものと考えられます。古代の日本は中国との関わりが深く、中国から政治の制度や宗教、文化が伝わった歴史があり、元号もその一部に含まれます。
元号の使用については、「大化」以来1300年以上にもわたって「令和」まで引き継がれています。
明治維新より「一世一元の制」を引き継ぐ
江戸時代までは、皇位継承に限らず、吉事や凶事などにより改元が行われました。
明治維新の際に「一世一元の制」(皇位継承の場合に限って改元する制度)が施行され、そこから150年以上にもわたって「令和」まで引き継がれています。
このように、「令和」は歴史上において2つの意味が存在します。
「令和の天皇=日本の歴史を示す象徴」と言える理由とは?

- Visit of the General Public to the Imperial Palace after the Accession to the Throne
上述のとおり、元号は元々中国の皇帝の統治権を象徴する称号であり、日本においては天皇の生きる時代の象徴を意味します。
天皇の生きる歴史は日本の歴史と密接不可分の関係にあるため、令和の天皇(以下「今上天皇」)は日本の歴史を示す象徴とも言えます。
と言っても、ピンと来ないですよね。
今上天皇が次の人物の血筋を継いでいることを知れば、ご理解いただけます。
天智天皇の血筋を継ぐ
天智天皇は、歴史の教科書の初めの方に出てくる人物ですよね。
天智天皇は「大化の改新」を後述の中臣鎌足とともに行った人物であり、血筋が今上天皇に継がれています。天皇中心の政治を開始し、それ以後、天皇が国政に大きく関わるようになりました。
この改革は後世に大きな影響を及ぼし、太平洋戦争の時代まで天皇が国政に関わったり、その立場が悪用されたりしました。戦後に憲法が改正され、現在では天皇は直接国政に関与せず、内閣の助言と承認の下で国事行為のみを行うという象徴天皇制が施行されています。
藤原氏の祖先の血筋を継ぐ
藤原氏の祖先は誰でしょう?
中臣鎌足ですね。学校の歴史の授業では、「大化の改新」を行った人物として中大兄皇子(天智天皇)と中臣鎌足の2人をセットに覚えさせられます。
藤原氏の祖先(中臣鎌足)の血筋も今上天皇に受け継がれているのです。次の系図をご覧ください。
中臣鎌足は天智天皇より政治に貢献した功績が称えられて「藤原」の姓を賜りました。その後、藤原氏の子孫が代々継がれ、後述の桓武天皇との間に嵯峨天皇が生まれ、今上天皇はその子孫の末裔に当たるのです。
ちなみに、藤原氏と言えば誰が思いつきますか?
藤原道長が有名ですよね。詳細は後述しますが、藤原氏は天皇家と密な間柄となり、天皇家の子孫繁栄に貢献しています。
桓武天皇の血筋を継ぐ
桓武天皇は794年平安遷都で有名な人物ですよね。上述の中臣鎌足の箇所で紹介しましたとおり、桓武天皇の血筋も今上天皇に継がれています。
平安京は現在の京都でありますが、現在の日本の都(首都)はどこですか?
東京ですよね。
実は江戸時代まで日本の都は京都にあった(正確には南北朝時代では奈良にもありました)のですが、驚くべきことは
平安遷都(794年)から東京奠都(1868年)まで1000年以上かかっていること
です。平安遷都前は、災害や戦乱を回避するために奈良県を中心に10箇所以上に転々としていました。平安遷都以後はずっと京都のままです。「いかに京都が落ちついた場所だったか」がイメージできるのではないでしょうか。
とは言え、京都にも応仁の乱などの荒れた歴史はありますが、交通や水運の便は良かったようです。その地を都にした桓武天皇の功績は大きかったと言えます。
ちなみに、桓武天皇の末裔に平清盛がいます。
藤原道長の血筋を継ぐ
藤原道長の血筋も継いでいます。次の系図をご覧ください。
中臣鎌足の箇所で説明しましたとおり、藤原氏は鎌足を祖とし、道長の代で全盛期を迎えました。藤原道長の長女・彰子が一条天皇に嫁ぎ、後朱雀天皇を産み、血筋が今上天皇に継がれています。
ちなみに、藤原道長と言えば、長男・頼通も有名ですね。彼の造営した平等院鳳凰堂は平安貴族栄華の象徴です。
徳川家康の血筋を継ぐ
大正天皇の后・貞明皇后が徳川家康の血筋を継いでいます。次の系図をご覧ください。
貞明皇后は藤原氏を祖先とする九条家の出身で、同家は徳川吉通(尾張徳川家)の長女(信受院)の子を授かり、そこから徳川家の血筋を継いでいます。
尾張徳川家は徳川家康の9男・義直を祖とする家柄で、吉通はその4代目です。
島津久光の血筋を継ぐ
島津久光は、江戸末期において公武合体運動を推進した薩摩藩の政治家として有名ですよね。
昭和天皇の后・香淳皇后が島津久光の血筋を継いでいます。次の系図をご覧ください。
香淳皇后は旧皇族(伏見宮、久邇宮)の一族でもあり、源流をたどれば崇光天皇(南北朝時代の北朝天皇)の血筋となります。
このことから何が言えるかと申しますと、香淳皇后も今上天皇も崇光天皇の末裔であるということです。
香淳皇后は「島津家×天皇家の血」を受け継ぎ、今上天皇に継がれています。
「令和」とともに歴史を築き上げていこう!
ここまで「令和」に生きる意味について紹介しましたが、いかがだったでしょうか?
・「令和」は日本の歴史そのもの
・「令和」を生きる意味は日本の歴史を生きることにある
という点についてご認識いただければ幸いです。
「令和の天皇=日本の歴史を示す象徴」というテーマについても触れましたが、私たち国民は天皇とともに生きていく存在でありますから、天皇の生きる歴史は私たちの歴史でもあるわけです。
そのことを踏まえて「令和」を生きてみてはいかがでしょうか。