カーリングのオリンピックメダリスト本橋麻里選手から学ぶ情熱を120倍燃やすコツとは?

好きなことをとことんしていく人あなたにとって、一番好きなことは何ですか?

と申しますのは、一番好きなことを徹底的に追求して、自ら組織を作り、オリンピックでメダル獲得までに至った人がいるからです。

その人物とは、

本橋麻里選手

です。本橋麻里選手は、日本で一番カーリングに情熱を燃やしている人と言っても過言ではないでしょう。

そこで、今回は本橋麻里選手から学べる情熱の燃やし方について紹介します。

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本橋麻里選手の功績とは?

カーリングで活躍して普及活動をする人本橋麻里選手が、これまでどんな活動をされてきたかご存知ですか?

「カーリングで活躍してきた」

というイメージは多くの方にあると思います。しかし、それだけではありません。

「カーリングの聖地・常呂町に根付くチームを作った」

という功績が大きいのです。

本橋麻里選手の思いは、次の2点が根幹部分を占めると考えられます。

・カーリングの聖地・常呂町に根付くチームを作りたい
・チームの各メンバーが自由に意見交換のできるチームを作りたい

本橋麻里選手は「チーム青森」で活動している中で、この思いが芽生え、やがてその思いが強くなり、長年所属していた「チーム青森」を断腸の思いで退団することにしました。この点を本橋麻里選手の立場で考えてみると、

・自分が引退した後も、末永く活動し続けられるチームを作りたい

という思いが、心の根底に最も強くあったものと考えられます。つまり、本橋麻里選手はカーリングというスポーツの遠い未来のことまで見据えていたと推測ができます。

しかし、一般的にはなかなか「チームを作りたい!」などと考えにくいものですよね。チームを作るにはスポンサーやメンバー集めなどのリスクが多いですし、相当の情熱のある人でないとできないことだと思います。

そのため、本橋麻里選手の情熱の燃やし方から学べるものがないものかと思い、今回記事に取り上げました。

本橋麻里選手が人生をかけたチーム作りとは?

新しいチームを作るには、次の壁がありました。

・カーリング人気が低迷していた状況下でスポンサーを確保すること
・強力なメンバーを確保すること 

しかし、本橋麻里選手はそれらのリスクをものともせず、2010年に「LS北見」というチームを結成しました。それも、24歳という若さでのことですから、凄いことです。並大抵のモチベーションでは到底不可能でしょう。

特に、スポンサー集めには相当苦労されたようで、本人は「チーム青森のスタッフ環境の良さが身に染みてわかった」とコメントされています。

ただ、本橋麻里選手の立場で考えてみると、「自分が引退しても根強く生き残っていけるチーム」が理想にあるからこそ、できたのだと考えられます。なぜなら、そのためであれば人生かける価値がありますし、情熱をフルに燃やす甲斐があるからです。

これは、母親が子のためなら命をかけてもいいと思う親心と似ているかもしれません。

「LS北見」を最強にした強力な助っ人とは?

強力な助っ人や守り神、女神などに守られている本橋麻里選手は2010年に「LS北見」というチームを作りましたが、既存の有力チームにはかなわず成績が今一つ伸びていきませんでした。

そのような状況の中、他のチームで喉から手が出るほど欲しい有力な選手が宙に浮いていました。本橋麻里選手は、その機会を逃さずに声をかけ、2015年に2人も入団させることに成功しました。その強力な助っ人2人とは、

・藤澤五月選手
・吉田知那美選手

の2人です。2人は平昌五輪活躍者として評価されていますが「LS北見」入団前ではカーリングの活動をやめようという状況に陥っていました。そんな中、本橋麻里選手は2人に声をかけたのです。

では、2人が「LS北見」入団前、どのような状況だったのか少し触れます。

藤澤五月選手は?

藤澤五月選手は、「LS北見」入団の前に有力チーム「中部電力」のエースとしてソチ五輪出場を目指していましたが、代表決定戦で敗れて五輪への夢に絶望し、完全にカーリング熱が冷めてしまいました。

そのような状況の中で、本橋麻里選手にエースとしての力量が買われ、声をかけられたのです。

吉田知那美選手は?

吉田知那美選手は、「LS北見」入団の前に有力チーム「北海道銀行フォルティウス」に所属し、2014年ソチ五輪に出場してその活躍ぶりが評価されていました。しかし、チームから戦力外通告を受けたのです。

これは推測の域を超えませんが、体格の小ささがその理由に考えられます。おそらく世界選手権や五輪で欧米チームのプレーを見て、大きな体格を活かしてストーンを飛ばして攻める戦い方を参考にして判断されたものと考えられます。

現に、吉田知那美選手の退団後のメンバーの身長が160cm以上あったことに対して、吉田知那美選手の身長は157cm、同様に退団した苫米地美智子選手の身長は148cmと、やや体格の面で劣っていました。

吉田知那美選手は戦力外通告を受けた後、カーリングをやめようとしたところ、本橋麻里選手から五輪経験の腕前を買われて声をかけられたのです。

ただ、戦力外通告を受けて相当落ち込んでいたのか、初めは断ったようです。それにもかかわらず、一転して応じたのは、本橋麻里選手のチーム作りに人生をかける、その熱意が伝わった結果だと考えられます。

本橋麻里選手の目指すチームとは?

周囲の考えと上手に付き合って楽しい人脈を構築していく本橋麻里選手は、

「カーリングの選手には常呂町出身者が多いのに、なぜ常呂町でカーリングができないのか?」

という疑問から、常呂町を拠点とするチーム作りを思いつきます。

また、本橋麻里選手ご自身の経験により、

「コミュニケーションのしっかりとれるチームを作りたい」

という強い意志もありました。その強い意志には、本橋麻里選手自身、自己主張が強く、それが往々にしてチーム内で調整できなかった苦労から生じたものと考えられます。

(1) 意見交換のしやすい雰囲気作り

本橋麻里選手は後輩と対等に意見交換しやすい雰囲気作りに努力しました。後輩から「本橋先輩」ではなく「まりちゃん」と呼ばれていたことからも、ご理解いただけるでしょう。あえて、そう呼ばせていたのだと考えられます。

また、試合中にメンバー内でよく「そだねー」という言葉が飛び交ったことからも、その雰囲気が伝わりますよね。

(2) カーリング熱の伝導

カーリングに情熱を燃やす人であれば試合で氷上に立ちたいと思うはずですが、本橋麻里選手は氷上では後輩の活躍に託して、ほとんど裏方に徹していました。

「チームで話し合って決めた」と話されていますが、本橋麻里選手はチーム創設者かつベテランであり発言権は大きいので、判断は自分次第で決められたはずです。しかし、氷上には後輩に立ってもらうことを選択しました。

このことから、カーリングの情熱を若い世代に伝えていこうという意志があるものと考えられます。そのため、「チーム創設者」としてだけではなく、「チームの母」としての役割も担ったと言えます。

本橋流「チーム作り」の成果は?

本橋麻里選手の目指したチーム作りの成果には、次の点が挙げられます。

・藤澤・吉田両選手のリーダーシップ発揮によりメンバー内のコミュニケーションが活性
・一人だけで責任を背負わない信頼関係の構築

この2点により各メンバーの精神状態が圧倒的に良くなり、2015年から急激に成績を伸ばしていきました。その結果、平昌五輪代表の座を勝ち取り、平昌五輪で史上初の銅メダルを獲得するまでに至りました。

本橋麻里選手のカーリング熱が「LS北見」の活躍を通して、日本中でフィーバーする結果となりました。そのフィーバーぶりは2006年トリノ五輪を数段超えるものと言えるでしょう。

本橋麻里選手に秘める情熱は、多くの人に影響を与えるほどの相当たるものと言えます。これは「最強チーム」作りの秘訣とも言えるのではないでしょうか。

本橋麻里選手のように情熱を120倍燃やしていろんな人を巻き込もう!

情熱を燃やして世界を広げて生きていくここまで本橋麻里選手から学べる情熱の燃やし方について紹介してきましたが、いかがだったでしょうか?

本橋麻里選手の情熱の燃やし方をまとめますと、

・好きなことをとことん行う
・複数の人を好きなことに巻き込む
・次世代にも好きなことを伝える

の3つの点が挙げられます。情熱を燃やせば燃やすほど他人に強く伝わりますし、多くの人に影響を与え、新しい世界ができあがる可能性があると考えられます。

あなたも、今取り組んでいることに対して情熱をお持ちでしたら、上記のいずれかを試して新しい世界を作ってみてはいかがでしょうか?

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