楽しくない人必見!つまらない人生を120倍面白くする方法とは?
「人生つまらない」とか「楽しくない」って、時々思いますよね。
勉強や仕事で忙しくて楽しみなことが一つもなかったり、踏んだり蹴ったりの出来事に遭遇したりすると、そう思うものです。
そんなときに効く考え方が
「一切皆苦」
です。この言葉に触れると「それって“人生は苦しみである”という意味では?」と思うでしょうけど、大きな誤解です。
この際、本当の意味を知っておきませんか?知っておくと、人生の視野が広がり、人生が120倍面白くなります。
そこで今回は、人生を120倍面白くする「一切皆苦」の考え方について紹介します。
「一切皆苦」の本当の意味とは?
「一切皆苦」とは釈迦の説いた考え方であり、本当の意味は次のとおりです。
すべては不満、苦しみ、不完全
「一切皆苦」の「苦」はパーリ語の「ドゥッカ」(Dukkha)を漢訳したものであり、日本語の「苦しみ」という意味ではありません。仏教専門家のスマナサーラ長老が次のように定義しています。
ドゥッカ(Dukkha)とは不満、苦しみ、不完全という三つの意味をもっています。
※引用元:『人生を100%活かす』(A・スマナサーラ、著)158頁より
つまり、人生は不満、苦しみ、不完全の三つで成り立っているということです。
「人生は苦しみ」は誤訳
日本では「苦」=「苦しみ」と誤訳され、多くの人に誤解を招き、「仏教=厭世主義」のような捉え方までされています。
そもそも「人生は苦しいものである」というナンセンスな説教を、釈迦がすると思いますか? 彼は我慢の美学を説く程度の説教者ではありません。
釈迦が説いたのは「欲望のコントロール」であり、「一切皆苦」は
「どう生きたって100%の満足を得られないのだから、欲望に任せて生きるのは危険である」
といった概念です。
いかがでしょう? あなたの思っていたイメージと違うのではないでしょうか。
「欲望のコントロール」の具体的な方法については、次の項で紹介します。
人生を120倍面白くする「一切皆苦」の使い方とは?
「一切皆苦」の本当の意味を知ったら、実際に使わなければ意味がありません。その使い方とは次のものです。
感じる「ドゥッカ」を「改善のサイン」として扱う
「ドゥッカ」を感じたときには、「何かを改善せよ」というサインとして扱うことができます。
例えば、「暑い」と感じるときにはエアコンをつけますよね。
エアコンが発明されたのは、感じる「ドゥッカ」を活かした形です。
ということから考えてみると、この世が
・「ドゥッカ」が感じられない世界
・「ドゥッカ」のない世界
だったならば、原始時代のまま文明が発展しなかったと考えられますよね。
しかし、現に文明がどんどん進歩していますよね。このことから、人は無意識に「一切皆苦」の考え方をビジネスのヒントに活かしていると言えるのですが、意識して「改善のサイン」として扱うか否かで生きやすさが大きく変わってきます。
思い通りにならないことを前提に生きる
「一切皆苦」は、「人生、思い通りにならないものである」という意味にも捉えることができます。
例えば、いつも何でも言うことを聞いてくれた人に、突然裏切られたらショックですよね。なぜショックなのでしょうか?
それは、「思い通りに“なって”当たり前」と思い込んでいるからです。
逆に「思い通りに“ならなくて”当たり前」と思っていれば、「人生、そういうこともあるよな」と納得でき、ショックが小さくて済みます。
「思い通りの人生」は地獄
そもそも「思い通りになる人生」っていかがなものでしょうか。
思い通りになればなるほど、思い通りにならない出来事に遭遇した場合の免疫が弱くなるのでショックが大きくなります。ショックが大きいと、犯罪か自殺にもなりかねません。人間、大きなショックに耐えられるほどの免疫まで備わっていないのです。
仮に思い通りにならない出来事に一度も遭遇しなかったとしても、自分の成長を感じられない人生ですから、退屈地獄になり、生きるのが辛くなります。
どちらにしても、「思い通りの人生」は地獄なのです。
そう捉えると「思い通りにならない人生でよかった」って思えてきませんか。
ほとんどの悩みは、思い通りになることを期待して一人で勝手に苦しんでいるだけなのが実態なのです。その苦しみを「一切皆苦」で取り除くことができます。
「どんなことにもリスクがある」と捉えて生きる
「一切皆苦」の考え方によれば、ドゥッカから逃れることは不可能です。
言い換えれば、
「どんなことにもリスクがある」
ということであり、そう捉えることにより
「どんなリスクがあり、どちらの方がマシか」という判断基準
が生まれます。
例えば、会社を辞めるべきかどうか迷うような重要な局面でも有効です。辞めた後のリスクだけでなく、辞めなかった場合にも、倒産や過労死、定年後の退屈地獄などのリスクがあります。
どの選択肢にもリスクがありますが、少しでもマシだと思う方を選べばいいのです。少しでもマシだと思って選んだのなら、後悔することがありません。
正社員は「定年後の退屈地獄」が最大のリスク
「定年後、楽するために正社員になる」と考える人がいますが、定年後何をするのでしょうか。
と問うと、「そんなの、そのときになって考えればいいじゃないか」とツッコミを入れられそうですね。
しかし、そうツッコむ人自身もおそらく「定年後は適当に仕事をしながら、毎日テレビを見たり、ゴルフをしたり、旅行したり…」というイメージが頭の中にあるものと思われます。定年退職者の生き方を見ているわけですからね。
ただ、どうでしょう。虚しくないですかね。テレビやゴルフ、旅行などというのは消費ですよね。消費を目的にした生活って虚しいだけですよ。
定年後であるか否かを問わず、消費ではなく生産を目的にした生活を送ることが望ましいです。モノを作るとか、何かを伝授するなど。
「ドゥッカ」を道具にして人生を面白くしよう!
ここまで人生を120倍面白くする「一切皆苦」の考え方について紹介しましたが、いかがだったでしょうか?
「一切皆苦」の本当の意味は、「すべては不満、苦しみ、不完全であること」です。
この概念で得られるのは「欲望のコントロールの必要性」であり、具体的には、
・感じる「ドゥッカ」を「改善のサイン」として扱う
・思い通りにならないことを前提に生きる
・「どんなことにもリスクがある」と捉えて生きる
という方法があることについて触れました。
「一切皆苦」は我慢の美学ではなく、道具にできるものです。積極的に道具として活用し、人生を面白くしていきませんか?