「本当の自分」を見失ったときは危険なサイン?自己の本音に気づく哲学について紹介

解決できない悩みを抱えていませんか?

そんなとき哲学してみると、解決のヒントが見えてきたりします。

そのように言うと

「哲学でも解決できないことってあるんじゃないの?」

と不審に思われるでしょう。

ただ、哲学は解決の道具ではなく自己の本音に気づく道具なのです。

そこで、今回は自己の本音に気づくための哲学について紹介します。

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哲学に期待できないものとは?

期待できないものを期待すると望ましくない結果になることが多いために勧められないまず、哲学への誤解を解くために「哲学に期待できないもの」について紹介します。

(1) 幸福

哲学は幸福より真理を追求する態度で行うものです。そのため、哲学により幸福になることは期待できません。

哲学者・中島義道氏は次のように述べています。

きみたちが本気で哲学しようとするなら、いついかなる場合でも、真理の追求を避けてはならない。真理の追求が不幸を呼び起こすとしても、それを受け入れねばならない。

※引用元:『哲学実技のすすめ』(中島義道・著)51頁より

そもそも幸福は一つの解釈にすぎないもので、少しでも解釈を変えればたちまち不幸になります

例えば、「20代の若者が10億円の豪邸を建てた」という話を聞いたら、一生懸命コツコツ働くのがバカバカしくなってきませんか?

コツコツ働くのを美徳として生きていれば幸福でいられるのに、金持ちの豪遊や道楽の話を聞いた途端に不幸な気分になってしまうのです。

このように幸福と不幸は隣り合わせの関係であり、哲学の対象にはなりません。

(2) 自由

哲学すると自由になれるかというと、そういうわけでもありません。

「自由な発想」というものがありますが、既存の発想同士の組み合わせにより生まれたものに過ぎず、そこには哲学の出る幕がありません。

そもそも自由ってそんなにいいことなのでしょうか?

例えば、あなたに作文の課題が与えられたとします。その際の指示が

「自由に作文してください」である場合

「日ごろ不満に思っていることについて作文してください」である場合

とではどちらが作文しやすいですか?

後者ですよね。

このことからご理解いただけますように、人間ある程度束縛されている方が生きやすいのです。哲学の出る幕もありません。

(3) 生きる意味

哲学しても生きる意味は得られません。

生きる意味がわからない場合は別の記事をお読みいただければ幸いですが、各哲学者が次のように主張しています。

・ソクラテス:「よく生きろ」
・ニーチェ:「生きる意味がなくても受け入れろ」(「運命愛」)
・サルトル:「生きる意味は自ら設定するのだ」(「実存は本質に先立つ」)

彼らの主張からご理解いただけますように、生きる意味自体には触れられず、手段を主張しているに過ぎません。このことからも、生きる意味については全く期待できないと言っていいでしょう。

(4) 正解

哲学には正解も期待できないですね。

哲学ではよく「○○とは何か?」という問いから始められることが多いですが、最終的には仮説に終始するのみです。

例えば、「地球が丸い」というのも仮説にすぎず、正しいかどうかは問題になりません。「1+1=2」もそうです。「そう仮定して思考を進める方が生活上便利だから」という理由により採用しているに過ぎません。

つまり、哲学は正解を導きだす道具ではなく、仮説を導き出す道具なのです。

正しいと言っているのは宗教や道徳ぐらいのものでしょう。「イエス様が聖書で言っている、だから正しいのだ」など。

では、哲学には何が期待できるのか?

哲学することは自分と向き合い本質的な考え方を持つことができる哲学の効用については別の記事で述べましたが、根本的に期待できることとしては次の2つが挙げられます。

(1) 本来の自己を知ること

社会の中で生きていると他人の価値観や道徳観に縛られ、それらに順応することが求められます。

順応して生きている間に自己の本音を失うことになるのです。

例えば、「とりあえず有名大学を卒業しておけば就職に有利だから、大学受験しよう」という意志はその人の本音ではなく、他人の価値観です。

他人の価値観で生き続けると、あるとき「本当は、自分は何をしたいんだろう」という自己矛盾に悩まされます。

これは哲学者ハイデガーの言う「ダスマン」という概念で、自己を見失っている人のことを言います。

そこで、哲学することにより本来の自己を取り戻すことができるのです。

ちなみにハイデガーは「常に死と向き合って生きよ」と主張しています。

もし突然死したとしたら?

そこで考えていただきたいのですが、あなたがもし今、突然死したとしたら「あれをやっておきたかったのに」と後悔することはありませんか?

勿論、突然死すれば心は無になるので、後悔の気持ちさえ起きないでしょう。しかし、生きている間でそれを考えれば後悔することがいくらでもあるはずです。

例えば、

・子を遺しておきたかった
・あの人にメッセージを伝えたかった
・仕事を完成しておきたかった

など。このような思いが今のあなたの本音です。

突然死は誰にでも起こりうることなのですが、人には「正常性バイアス」という「まさか、そんなことは自分には起きないよ」というポジティブ心理が備わっているので軽視しがちです。

そこで、次のことも哲学に期待できるのです。

(2) バイアスから逃れること

世間ではよく「いい学校に入り、いい会社に入り、いい人と結婚をすることが幸福の条件である」というようなことが言われていますよね。

果たして正しいのでしょうか?

正しいと仮定すると「中卒や無職、独身の人は幸福ではない」ということになりますよね。そもそも「いい」の基準さえ誰もわかりません。

世間の幸福条件の適合者であっても、幸福に感じていない人だって少なからずいるわけです。

例えば、東大を出た一流企業の社員や大臣、弁護士、医師などが自殺をしている現実を見ればわかります。彼らは恵まれた身分でありながら、自殺前において幸福に感じていなかったのです。

と、このように疑うことが哲学の基本であり、哲学はあらゆる世間のバイアスから逃れる道具に活用できるわけです。

そもそも哲学とは何か?

本を読むと言葉が変わるため、人生への影響力が絶大であるここまで哲学に期待できることについては、ある程度ご理解いただけたと思います。

あなたは次のような疑問が浮かぶのではないでしょうか?

「哲学ってそういうもんなの?」

そこで、哲学の意味について下記に紹介します。

(1) 腹の底から湧き出る言葉を検証する道具

中島義道氏が次のように最もわかりやすい言葉で説明されています。

哲学の基本とは何か?それは、自分の「からだ」から湧き出た言葉を尊重して「ほんとうのこと」を語り続けること。

※引用元:『哲学実技のすすめ』(中島義道・著)10頁より

つまり、哲学とは「腹の底から湧き出る言葉を検証する道具」と言えます。

例えば、生きるのが虚しいと感じたとき「生きる意味って何だろうか?」って思いますよね。その思いこそが「腹の底から湧き出る言葉」であり、それを検証の対象にして次々に仮説を立てていく行為が哲学です。

そこで例えば、サルトルの説「生きる意味がないのなら自ら設定する」という仮説を立てて生きることによって、その後何をしたらいいのかがある程度見えてきます。

食べることを生きる意味として設定するならば、食べるものや場所、手段などを考えますよね。

つまり、哲学には現在モヤモヤしているものをはっきりさせる役割があります。

「生きる意味はない」ことに気づくだけでも意味がある

「生きる意味はない」ということに気づいただけでも、生き方が大きく違ってくるはずです。「生きる意味」を探す作業は要らなくなるのですから。

・神や仏のために生きる
・家族のために生きる
・財産を守るために生きる

などの世間の思想の詮索は、一切要らないです。世の中に絶対に正しいものなど一つもないのですから。

だったらサルトルの言うように、自ら生きる意味を設定し、そのために必要なものを次々に決めていけばいいのです。

勿論、設定した意味を変更したって構いません。

(2) 知的探求の学問

一般的な意味で言えば、文字通りの「知的探求の学問」です。ただ、この意味で哲学をしようとすると漠然としてしまいます。

この意味における哲学は英語で「philosophy」と言いますが、元々古代ギリシアでは「philosophia」(智恵を愛すること)と呼ばれました。

江戸時代の哲学者・西周が「希哲学」(賢哲を希(ねが)う学問)と訳しましたが、どういう事情があってのことか「希」の文字が抜き取られ、「哲学」という言葉になったようなのです。ですから、本来は「希哲学」と言うべきなのでしょう。

いずれにしても、この意味であれば「○○とは?」という本質的な疑問に限らず、科学的な疑問まで幅広く含まれます。漠然としてますよね。

ですから、哲学するのなら上記(1)の意味で捉える方が望ましいです。

人生に悩んだら哲学してみよう!

心を解き放ち相手の心とリンクさせて心のメッセンジャーになって幸せになる人ここまで自己の本音に気づくための哲学について紹介しましたが、いかがだったでしょうか?

哲学は腹の底から湧き出る言葉を検証する道具です。

「生きる意味がない」
「働く意味がない」
「勉強する意味がない」

などと嘆いていても何も始まりませんが、何かを始めるきっかけを作るのが哲学なのです。

例えば、

「生きる意味がない。では自分で設定するか」

というサルトルの発想を起点にしていくと、今後の行動の方向性が自然に導かれていくのです。

これからは、人生に悩んだら自己の本音に気づくために哲学してみてください。

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