自殺は現実逃避手段の誤り?人生に絶望したときに役立つヒントについて紹介!
「死ねば楽になる」と思ったことはありませんか?
何かに絶望して精神的に追い込まれているときにそう思うことはあるでしょう。
絶望したとき、一体どうすればいいのか。
そのヒントとなるメディア記事を見つけました。
女性研究者の自殺の記事です。この記事はあなたの死生観を見直すきっかけになります。
そこで今回は、女性研究者の自殺に学ぶ生き方について紹介します。
女性研究者の自殺に学ぶ生き方とは?
朝日新聞デジタルに次の記事がありました。
大きな研究成果を上げ、将来を期待されていたにもかかわらず、多くの大学に就職を断られて追い詰められた女性が、43歳で自ら命を絶った。
※引用元:2019年4月10日付け朝日新聞デジタルの記事「文系の博士課程「進むと破滅」 ある女性研究者の自死」
より
この一文を読んでどう思われますか?
まず思い浮かべられる疑問は、
「女性研究者は、命を絶つほど苦しかったのか?」
という点ですよね。
ただ、人間は往々にして「他に選択肢がないのなら死を選ぶ」と思いがちになり、彼女もその例に漏れなかったと言えます。
あえて死者に厳しい言い方をしますが、これは死への冒涜です。
自分の命は自分のものなのか?
なぜ、自殺が死への冒涜と言えるのか。
それは、自分の命は自分で作ったものではないからです。
私たちは親やその上の代の人から多くの遺伝子を受け継いで生まれてきていますので、彼らが現在生きている人の命を作ったと言えます。
つまり、自分の命は自分だけでなく、親やその上の代の人たちのものでもあるということです。たとえ彼らがこの世に存在しなかったとしても。
命を弁当に喩えると、自殺は「他人の作った弁当を自分のものだと思い込み、勝手にゴミ箱に捨ててしまうようなもの」です。
親の形見や遺骨は捨てられないのに自分の命を捨てられるのは、「命=自分のもの」という勝手な思い込みがあるためです。
絶望しても生きる選択肢はあること
どんなに絶望しても、「自殺の道」以外にいくらでも選択肢はあります。
ただ、人間は精神的に追い込まれる状況に陥ると「死ぬしかない」と思うようになるものです。
それは「死にたい」のではなく「苦しみから解放されたい」という意志の表れなのです。
自殺する人は、ただその手段を間違えているだけ。
女性研究者の場合は?
女性研究者の場合は、「大学教員になれなくて苦しんだ」のか「貧困で苦しんだ」のかどちらだったのでしょう。
前者なら大学の道を諦めて仕事をしながらでも個人で研究を続ければいいですし、その結果、運が良ければ出版や講演にまでありつけるわけです。それを寿命が尽きるまで続ければいい。
後者なら支出を減らしたり、生活保護を受けたりするなどの方法がありますよね。
いずれにしても、彼女のとった行動は苦しみから逃れる手段の誤りと言えます。精神的に自殺以外の選択肢を考える余裕もなかったのでしょうけど、
少なくとも、
・大学教員になれなかったとしたら何をするか
・貧困で苦しんだとしたら何をするか
について平常時にある程度考えておく必要がありましたね。
自殺を避けるための死生観とは?
ちょうどいい機会です。死生観について確認しておきましょう。
「生きる意味」と「死ぬ意味」は何だと思いますか?
多くのお金を稼いで生きて、多くの人に惜しまれて死ぬこと?
その考えはいかがなものでしょう。
生死に意味はない
少なくとも言えることは、
「生きる意味」も「死ぬ意味」もない
ということです。
私たちは日頃、動植物の生命を奪っているではないですか。
勿論生きるためではありますが、そこに意味はありません。生命から栄養をいただかないと苦しくなるからそうしているだけです。
動植物も私たちと同じように生きたり死んだりしていますが、そこに意味はありますか?
ないですよね。例えば、「あのライオンは楽しそうだ。笑っていないけど、広い草原を颯爽と走り回っている。きっと幸せを求めて生きているんだ。」などという理屈は成り立ちません。人間の勝手な解釈です。
生死に意味はなく、あるのは解釈のみです。
絶望は死ぬ意味にならず
絶望は死ぬ意味にはならず、今までの行動を変えるべき機会でしかありません。
借金で絶望ならば自己破産をすればいいですし、余命わずかで絶望ならば最期までできることをするのみです。
そもそも余命のことまで言ったらキリがないです。これからいつ誰が死ぬかなんてわからないのですから。歩いてたら居眠り運転手に殺されるかもしれないし、妙な新型ウイルスに感染して死ぬかもしれないし。
と、ここまで考えれば「死ぬ意味なんて考えるのはくだらない」と思いませんかね。
死ぬ意味は死んだときに考えればいいんです。生きている間中「死は怖い」と思っていれば、それがいい。
死後の世界は誰もわからない
自殺を考えたことのある人は、死後の世界について甘い想像をしているのではないでしょうか。
確かにそこは「何も感じない世界」なのかもしれません。
ただ、断言できませんよね。宗教的な死生観でよく言われる「地獄」があり、自殺した者は別の記事で紹介した「荷車をひく牛」のエピソードのように生前より苦しい思いをする可能性だってあるわけです。
それは死んでみないとわかりませんが、自殺して本当に「地獄」だったとき、「生前の方がマシだった」と後悔しても遅いんですよ。
後悔する可能性が否定できない以上、生き急ぐ理由はないはずです。
ときには死生観を見直しながら生きてみよう!
ここまで女性研究者の自殺に学ぶ生き方について紹介しましたが、いかがだったでしょうか?
女性研究者は大学教員へのポストにつけないことなどへの絶望により自殺の道を選びましたが、私たちはこのことについて疑問を持たねばなりません。
皆が「死ねば楽になるんだ」という考えに賛同してしまえば、無人地球になるからです。
そんなことよりも、親やその上の代の人たちから遺伝子を受け継いで生まれてきていることは絶対に忘れてはなりません。
自殺したら、きっと地獄です。来世は歯と足のないライオンに生まれ変わっていると思います。いや、ライオンの糞にたかるハエかもしれません。
どんなに絶望しても、糞にたかるハエより遥かにマシです。それが理解できれば、「自殺なんて糞だ!」と思えてくるはずです。
これを機に死生観を見直してみてはいかがでしょうか。
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