寂しいときは不安で眠れない?気持ちを紛らわす対処法を紹介!
あなたは、何かが終わったときに寂しい気持ちになりませんか?
何かが終わったときとは、多くのものがあります。例えば、
・失敗に終わったとき
・誰かと別れたとき
・大目標を達成したとき
などが挙げられるでしょう。それらが終わったときの寂しさを上手に切り替えたいところです。
そこで、効果を発揮する道具を紹介します。それは、
「終わり=始まり」
です。この道具を使うと、何かが終わるという意識からスムーズに新しい始まりにつなげることができます。
では、「終わり=始まり」という道具について詳しく紹介します。
「終わり=始まり」とは?
あなたは、「終わり」についてどんなイメージをお持ちでありますか?
・目標の達成後
・実行した後
・別れ
などの様々なものがあると思われますが、いずれも「〇〇の後」と言えるものですよね。
では、これらに対して「始まり」はどのように対応するものと考えられるでしょうか。上記の例を使うと、
終わり | 始まり | |
目標の達成後 | → | 新しい目標 |
実行した後 | → | 次の実行 |
別れ | → | 次の出会い |
となるでしょうか。
終わりだけを見れば、何となく切なさや物足りなさが残る感じでありますが、始まりを加えると未来への方向性が加わる印象になりますよね。
つまり、終わりと始まりは切っても切れない関係であり、両方セットを前提に考えるべき概念と言えます。このことから、終わりは何かの始まりであることには間違いないですよね。
歌の歌詞にも「終わり=始まり」の考え方あり?
「終わり=始まり」は、有名な歌の歌詞にも使われています。例えば、乃木坂46の歌「サヨナラの意味」の歌詞の中に、次の言葉が出てきます。
「始まりはいつだって そう何かが終わること」
※作詞:秋元康
この歌は「別れることがあっても、また新しい出会いがあるよ」という別れの切なさを慰めるテーマでありますが、「終わり=始まり」の考え方が含まれているものと考えられます。
アニメにも「終わり=始まり」の考え方あり?
アニメ映画『ドラえもん のび太とブリキの迷宮』は藤子・F・不二雄氏の脚本によるものでありますが、彼の脚本には「終わり=始まり」の描写が見受けられる場面がありました。
それは最後の場面です。人間がロボットに支配される世界の話でありますが、ドラえもんたちの力によりロボットの世界を壊し、牢に捕らわれていた人間を救います。ロボットの世界が壊れていくのを見て、国王は次のように言います。
「わしらはすべてを失ってしまった。お終いじゃ・・・」
確かに、文明の力を頼りに生きてきた人間にとってはロボットの世界が失われるのが絶望的でもあります。
しかし、ガリオン・ブリーキン侯爵は次のように言います。
「お終いではありません。始まりですよ。もともと人類は洞窟に住み、石器を使いながら文明を築いてきたのです。やり直しましょう。機械に頼らず、人間が人間らしく生きていける社会を作りましょう。」
このセリフに「終わり=始まり」の考え方が含まれているものと考えられます。
根本思想:哲学者ニーチェの「能動的ニヒリズム」
この道具は、哲学者ニーチェの「能動的ニヒリズム」という考え方を根本思想としています。「能動的ニヒリズム」とは、この世に絶対的な価値がないので自分で価値を作っていこうという生き方を表す言葉です。
「ニヒリズム」という言葉には「生きる価値がない」という意味が込められています。これには次の時代背景があります。
ニーチェの活動当時、キリスト教の神が絶対的な価値として重きがおかれていました。世界革命や戦争、近代化とともに神の存在が否定されるようになり、それまでキリスト教の神を信じてきた人々が何を頼りにしていいかわからなくなりました。
そのような時代の中でニーチェが警鐘を鳴らし、「能動的ニヒリズム」の考え方を提唱したのです。
ニヒリズムの例
上記の説明では「ニヒリズム」のイメージしにくいですので、実際の生活を例に考えてみましょう。
例えば、あなたに子どもがいるとして、その子どもが病気で亡くなったとします。すると、親としての生きがいが失われてしまいます。子どもを失くして、無気力や自暴自棄になったりする親御さんの話はよくテレビなどで耳にしますよね。
これが「ニヒリズム」です。
能動的ニヒリズムの例
では、上記の「ニヒリズム」の例を「能動的ニヒリズム」に切り替えて考えてみましょう。
確かに子どもが亡くなった時点では「子どもを育てる親としての人生が終わり」と言えます。しかし、その後には続きがあります。つまり、「終わりは何かの始まりでもある」ということです。
例えば、「子どもに見守られる人生の始まり」と捉えることが「能動的ニヒリズム」と言えます。「子どもを育てる親」としては生きる価値が失われますが、「子どもに見守られる親」として生きる価値を作ることができます。
繰り返しになりますが、「この世に絶対的な価値がないので、生きる価値は自分で設定や変更をしていく必要がある」とニーチェは考えます。その考え方が「能動的ニヒリズム」です。
人生というストーリーには何かの終わりに必ず続きがある!
ここまで「終わり=始まり」という道具について紹介してきましたが、いかがだったでしょうか?
ストーリーには結末が設定されていますが、人生というストーリーは結末がなく、結末と思えるものであっても必ずその続きが何らかの形で始まっているものです。
何かが終わったら同時に何かが始まっていると思っていただくと、寂しさのスパイラルから抜け出すことができるのではないでしょうか。