テレビドラマ『嫌われる勇気』は誤用?アドラー心理学の内容を紹介!
あなたは、「嫌われる勇気」という言葉をご存知ですか?
テレビドラマで扱われたテーマでありますが、アドラー心理学の解説本のタイトルであります。
あなたは「嫌われる勇気」と聞いて、次のようなイメージを描かれるのではないでしょうか。
・周囲の顔色をうかがわなくても自己主張できる
・自分のペースで生きることができる
など。しかし、その反面、他人との共感力の低下を招くという誤用も想定され、現にテレビドラマで「主人公が一匹狼で孤軍奮闘する」描写が見受けられ、専門家から批判を受けていたのがその象徴と言えます。
そこで、今回は「嫌われる勇気」の正しい取り扱い方について紹介します。
「嫌われる勇気」とは?
「嫌われる勇気」とは、「他人に嫌われることを怖れずに自由を獲得していく」というアドラー心理学の解説の言葉を凝縮したものです。
確かに、自由な生き方とは「他人の考えに縛られずに生きること」でありますから、ときには他人から嫌われることがつきものであることについては容易に想像できるでしょう。
ただ、この言葉を聞いて、
「独り善がりの生き方がいいということか」
と勘違いしてしまうかもしれません。
そこで、「嫌われる勇気」の理解に必要なのは、
「共同体感覚」
というアドラー心理学の概念です。では、「共同体感覚」について次に説明いたします。
「共同体感覚」とは?
「共同体感覚」とは、他人との関係の中で自分の存在感を見出す感覚のことです。
この感覚を持ち合わせていれば、独り善がりにならずに本当の自由な生き方を目指すことができます。
「共同体感覚の存在しない世界」を想像してみると?
では、「共同体感覚」を実感するために、「共同体感覚の存在しない世界」を想像してみましょう。
例えば、あなたが地球上でたった一人しか生きていない世界にいるとします。その世界はどんなものか想像できますか?
考えられるのは、
・衣食住について、すべて自分一人で管理していかなければならない
・肉食獣や毒物、ウイルスなどからも自分一人で守らなければならない
という過酷な世界のはずです。その世界で生きるとしたら、
・天変地異で家が流されたら、安息の地を求める旅に出なければならない
・食料がなければ、空腹のまま凌ぐ必要がある
・ケガや病気で倒れたら、倒れたまま横たわるしかない
という程度の対応しかできないのではないでしょうか。
「共同体感覚」は「嫌われる勇気」とどういう関係か?
このことから、「共同体感覚のない世界」とは「ひたすら耐えるしかない世界」と言えます。もはや「自由が得られる世界」とは言えないですよね。
そのため、自由を得る(「嫌われる勇気」も含む。)には「共同体感覚」が前提であると考えられます。
つまり、この世が「他人の支えありきで成り立っているという世界」であることを前提として生きていき、自分と他人の課題を分離し、自分の課題に取り組むべきであるという考え方です。
テレビドラマ『嫌われる勇気』の場合には?
テレビドラマ『嫌われる勇気』の中での主人公・庵堂蘭子は「共同体感覚」を発揮していなかったために、アドラー心理学の専門家より批判を受けました。
では、「共同体感覚」を発揮するにはどのような設定であればよかったと考えられるでしょうか?
少なくとも、
・社会全体の利益のために組織の考えを出す
・組織の考えとして実行する
の2点が必要だったと思われます。庵堂蘭子は上司に社会や組織全体の利益のためになる考え方を提供して「組織の考え」を出力させ、その考えのもとで職務を遂行していればよかったのです。
組織のメリットは、仕事を分担することにより仕事の効率性を高めることにあります。単独行動の方が高い効率を得られるのであれば、組織自体が要らないはずです。
「嫌われる勇気」は他人の支えがあってこそ発揮される!
ここまで「嫌われる勇気」の正しい取り扱い方について紹介してきましたが、いかがだったでしょうか?
「嫌われる勇気」は、「他人の支えありきで成り立っているという世界」であることをまず前提に取り扱わなければなりません。
「共同体感覚」というアドラー心理学の概念も少し紹介しましたが、自由に生きるには他人との関係の中で「自分は他人に対して何ができるか?」という課題を自分の課題として分離させる必要があります。
その課題に取り組む中で、他人が自分の課題に入り込んできた際に「嫌われる勇気」を発揮すれば、それこそが正しい取り扱いと言えます。
今後は「嫌われる勇気」について、
・「課題の分離」
・「共同体感覚」
の2つについて意識して、日常生活の中で使ってみてください。すると、本当の自由を得る感覚が理解できるでしょう!