映画『プラダを着た悪魔』に学ぶ決断力を磨く方法とは?
あなたは決断を他人に任せていませんか?
一般的に、自分なりに結論が出ているのにもかかわらず、結局他人の考えに従ってしまうことが多いものです。
その場合、次のように言い訳をするはずです。
・「あの人に言われたから仕方ない」
・「あの人には気の毒だけど仕方ない」
・「嫌われたくないから仕方ない」
など。これらからご理解いただけますように、言い訳の基本形は「○○だから仕方ない」です。
しかし、できるならば「○○だから仕方ない」などと言い訳せずに、自分なりの結論を採用して自ら決断したいものですよね。
そのヒントとなる映画を紹介します! それは、
『プラダを着た悪魔』
です。この映画を観ると、自分の決断の大切さに気付くことができます。
そこで、今回は映画『プラダを着た悪魔』のセリフに触れながら自分の決断を大切にする方法について紹介します。
※一部ネタバレの部分がありますので、その点についてご理解の上でお読みください。
映画『プラダを着た悪魔』とは?
『プラダを着た悪魔』は小説から映画化され、2006年に公開されたアメリカ映画です。
内容について簡単に説明しますと、ファッションに興味のない主人公アンドレア(アン・ハサウェイ、演)がファッション雑誌『RUNWAY』へ就職し、カリスマの編集長ミランダ(メリル・ストリープ、演)のアシスタントとして仕事をこなしながら、成長していくという物語です。
タイトルの「悪魔」はミランダを指し、部下に対して無理な雑用を強要し、「できなければ、もう戻ってこなくてもいいわよ」とサラリと平気で言うパワハラ上司なのです。現代の日本で行えば、間違いなく社会から追放されるでしょう。
視聴者の感想には「上司からどんなに酷いパワハラを受けても常に前向きに仕事を続ける主人公の姿勢に感動した!」というものが多いのですが、この映画の本質はその部分にありません。
では、この映画の本質とはどこにあるのでしょうか? それは、
「自分の決断を大切にしないと悪魔の奴隷になってしまう」
という点です。
映画『プラダを着た悪魔』の人生に役立つセリフとは?
『プラダを着た悪魔』は次のセリフに人生に役立つ要素があります。
「あなたのような生き方が嫌だったら?」
アンドレアはミランダに「あなたは私に似ているわ」と言われ、その後に続く会話の中に人生に役立つヒントがあります。
アンドレア:ナイジェルにあんな仕打ちはできない。
ミランダ:もうやったじゃない。エミリーに。
アンドレア:でもあれは・・・違います。仕方がなかった。
ミランダ:あなたの決断よ。先へ進もうと決めた。この世界では不可欠な決断よ。
アンドレア:でも“この世界”を望んでいなかったら? あなたのような生き方が嫌だったら?
ミランダ:バカを言わないで。誰もが望んでいるわ。
『プラダを着た悪魔』のテーマは、このセリフに凝縮されていると言っても過言ではありません。
アンドレアのパリコレ行きの決断には、「断ればミランダにクビ宣告される」という不純な動機がありました。この場合の「仕方がなかった」とはその意味によるものです。
しかし、アンドレアはミランダの生き方に理解ができず、そこで自分の決断の大切さに気づくことができました。なぜだと思いますか?
自分の決断による未来が見えたからです。アンドレアは、自分の決断によりミランダの生き方をたどる人生が見え、それに嫌気が差したのです。
このことから、
自分の決断によりどのような人生になるのか
という視点は人間の生き方として重要だと考えられます。
たとえ「断れば酷い仕打ちをしてやる」という人が相手だとしても、自分の人生については常にあなたに決断の権利があります。
ですから、「酷い仕打ちをされるから」や「気の毒だから」などと言い訳する前に、まず自分の決断によりどのような人生になるのかを想像してみるべきです。
そうしないと、酷い仕打ちをするような相手の生き方をたどる人生になってしまいます。
まさに上述の「自分の決断を大切にしないと悪魔の奴隷になってしまう」です。
目上の者に従うばかりが人生ではない
特に、上下関係があると「目上の言うことに従わなければならない」と思うものです。
しかし、例えば、
・「親の言うことは守らなければならない」
・「上司や先輩の言うことは絶対だ」
などと思うのは行き過ぎです。あなたは親や上司、先輩の人生をたどる人生になります。彼らが人間的で素晴らしい人生を歩んでいる人であればいいのですが。
このことから、
目上の者に従うばかりが人生ではない
という点も認識しておくことが望ましいと言えます。自分の人生に関しては目上の者の言うことに従う必要がなく、あくまでも参考材料の一つに過ぎないことに注意をしておくべきでしょう。
「決めるのはあなた」
ミランダは、アンドレアに「エミリーを除外したパリコレ行き」を命じます。すると、次の会話になりました。
アンドレア:(エミリーのことを思うと)パリに行けません、どうしても。
ミランダ:将来のことを真剣に考えてないのね。“RUNWAY” でも、よそに移っても、決めるのはあなたよ。
アンドレアはパリコレに行きたかった先輩のエミリーを気の毒に思いながらも、ミランダの命令に応じます。
ここで重要なのは、アンドレアには「自分で決断した」という自覚がなく、「ミランダに決めさせられた」と思っていることです。
しかし、「決めさせられた」からと言って自分の決断を否定することになるのでしょうか?
そうではありません。どんな決断にも、最終的には自分の決断があります。
アンドレアの場合は「クビになりたくないから、ミランダの言うとおりにする」と自分で決断しています。(ちなみに「よそに移っても」とミランダはサラリと言っていますが、「断ればクビだよ?」を想起させる恐怖の言葉です。)
このことから言えるのは、
自分の決断に自覚がなければ、「誰かの考えに従う」という決断になる
ということです。つまり、「決断しない」という選択肢は「誰かの考えに従う」という選択肢と同じなのです。現状維持という選択なら「過去の自分への服従」です。
この点は人生生きていく上で要注意ですので、日頃から認識しておきたいものです。
言い訳より決断の自覚の多い人生にしよう!
ここまで映画『プラダを着た悪魔』のセリフに触れながら自分の決断を大切にする方法について紹介しましたが、いかがだったでしょうか?
『プラダを着た悪魔』から人生に役立つヒントは、
・「自分の決断によりどのような人生になるのか」という視点の大切さ
・自分の決断への自覚がなければ、「誰かの考えに従う」という決断になること
にあります。
決断する前に、まず自分の決断した後の世界について想像してみることが望ましいです。
また、「自分で決断しない」という選択肢は「誰かの考えに従う」という選択肢と同じですので、注意が必要です。注意しないと本当に「悪魔の奴隷」になってしまいます。
これからは言い訳より、決断の自覚の多い人生を目指して生きてみてはいかがでしょうか? 「決断は自覚ありき」であることが望ましいです。